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元ヒーラーの覚え書き的な日記

ヒーリング、スピリチュアル、代替医療、ホメオパシー、などを、忘れないうちに綴ってます

ボブ・ディラン@ノーベル文学賞受賞

ボブ・ディラン氏受賞

米メディア大きく報道

大統領も祝福

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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161014/k10010729351000.html?utm_int=detail_contents_news-related-auto_002

ことしのノーベル文学賞ボブ・ディラン氏が選ばれたことについて、地元アメリカのメディアも大きく伝えています。またオバマ大統領もツイッターに祝福のメッセージを載せました。
このうちCNNは、アメリカ人がノーベル文学賞を受賞するのは1993年以来のことだとしたうえで、「ディラン氏の受賞は世界中の大勢のファンに歓迎されるだろう」と伝えています。

 

また、ニューヨーク・タイムズは、「今回の発表は、驚きだった。というのも、これまでディラン氏には受賞のチャンスがあると言われてきたものの、彼の作品は、小説や詩などが選ばれてきたこれまでの基準には当てはまらないからだ」としています。

さらに、ロサンゼルス・タイムズは、「ミュージシャンが歌詞や音楽でこの賞の対象となったことは、『文学』の定義を広げることになった。ノーベル賞は、文学の各ジャンルのトップで社会的な影響もある人に与えられることがよくあるが、今回のディラン氏はまさにそれに当てはまる」と指摘しました。

(ここまで)

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意外でしたねー。

カズオ・イシグロさんとかになるのかなーと思ったりしてましたが。

「文学」の範囲が広がって、文化賞みたいな賞になるんでしょうね。

ダヤン氏の見解です。

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※お借りしてます

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/ec63c8a70dadba419fbb5516912d4b4e

私の率直な見解は、

ノーベル文学賞ボブ・ディランの受賞によって、完全に多様化したこと

② これは、我が国の*著作権法第10条で規定している「著作物の例示」の拡大に匹敵。そうすると、舞踊又は無言劇の著作物や写真やプログラムの著作物等まで今後、受賞範囲が広がる

③ よって、村上春樹の受賞は「完全」に消えた。従って、村上龍との見解とは、「真逆」。

(略)

やっぱり、来年の村上春樹の受賞確率も限りなくゼロに近いのが、私の見解と予測。

そして、来年は、同法1項3号で規定する「舞踊又は無言劇の著作物」の受賞者になるのが、私の予感。

ひょっとして、ハリウッド映画の脚本家と俳優の同時受賞かも!?

(ここまで)

 

ほかに、ボブ・ディラン氏の出自とルーツも述べておられます。

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/ec63c8a70dadba419fbb5516912d4b4e

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うーん。舞踊のことはよくしらないけど、、、

ハリウットからだと、スピルバークか、クリント・イーストウットとかになるのかしら。

もし、日本人が受賞するなら、宮崎駿さんが最有力候補だと思うのよねー。

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作品は文学的だし、オンリーワン的なとこあるし。

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いずれにせよ、村上春樹はなさげ。

なんで、こんなに気持ちが晴れるんだろ♡

 

話をもどしますが、ボブ・デュランといえば、私の場合、歌ではなくイーディ・セジウィックを連想します。

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イーディ・セジウィック - Wikipedia

1943年4月20日カリフォルニア州サンタバーバラ生まれ、1971年11月16日、28歳の若さで没。アメリカ合衆国の女優・ファッションモデル。

1960年代に制作されたアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演。60年代のファッション・アイコンとして注目された。

 

生い立ち
カリフォルニア州サンタバーバラにて、名門の旧家セジウィック家の8人兄妹の7番目の子供として生まれる。牧場主でもある異常なほど厳格な父のもとで育つ。
1957年、拒食症のため寄宿学校を1年で中退。

1962年、シルヴァー・ヒル精神病院に入院。

1963年、兄のミンティが自殺。イーディーは美術を学ぶため、マサチューセッツ州ケンブリッジからマンハッタンに移る。

1964年、ニューヨーク東60丁目に住み始めパーティーに明け暮れる日々を送り、社交界では有名な女性となっていた。

 

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ウォーホルとの出会いと決別
1965年3月、映画プロデューサーのレスター・パースキー宅でポップアートの旗手アンディ・ウォーホルと出会う。

その出会いを機に、彼女の友人チャック・ウェインとともにウォーホルのスタジオである「ファクトリー (The Factory、工場の意)」 に通いはじめ、ウォーホルの映画に出演することになる。
主演作は、『Poor Little Rich Girl』『ビニール』『Beauty #2』『チェルシー・ガールズ』など。 イーディーはポップカルチャーの最前線に立ち、その独特なファッションとともにヴォーグやライフなどで取り上げられ「ユース・クエイカー(若者が起こした揺さぶり)」と呼ばれた。

1965年の「ガールズ・オブ・イヤー」にも選ばれる。
しかし、彼女がロックミュージシャンのボブ・ディランとの付き合いを始めた頃から、彼女とウォーホルの間に距離が生じ始める

ボブ・ディランの曲「Leopard-Skin Pill-Box Hat」

www.youtube.com

「Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again」等は彼女を歌にしていると言われる。)

www.youtube.com

その頃ウォーホルは、ファクトリーの常連となっていたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデュースを始め、また、ファクトリーの新しいスター、イングリッド・スーパースターという女性の出現もあり、二人の関係は悪化していく。
1966年、イーディーはボブ・ディランと破局。

ドラッグに溺れていた彼女はタバコの消し忘れによる火事で火傷を負う。

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晩年
1967年、最後の映画『チャオ!マンハッタン』に出演。

様々なアーティストが集う有名なチェルシーホテルに転居するがドラッグ中毒により入院。家族のいるカリフォルニアへ戻る。精神病院からの脱走・再入院を経て、牧場である実家で家族とともに過ごすことになる。

1969年、病院にて患者のマイケル・ポストと出会い、のちに結婚。ドラッグを絶とうとする。

1971年11月15日の夜、サンタバーバラ美術館のファッションショーに行ったイーディーはドラッグに手を出してしまう。

翌朝、夫であるマイケル・ポストが彼女の部屋に様子を見に来た時には、すでに息はなかった。薬物の過剰摂取による死。

わずか28年の生涯だった。
(ここまで)

 

旧家にうまれ厳格な家庭に育ち、拒食症になり精神病院に入院。兄は自殺。

美術を学ぶためNYへ上京し、美貌をウォホールに見いだされ時代のアイコンに。

ボブ・デユランと出会って関係をもち、ウォーホルと破局。

さらに、ボブは、ほかの女性と結婚してイーディと破局。

ドラッグ中毒になり精神病院に入院。

入院仲間と結婚するも、最後は28歳で中毒死してしまう。

 

安楽な場所に逃避を続けた末に溺死するという感じの人生ですね。

今のボブさんは、この女性のことを覚えているでしょうか。 

www.youtube.com

すべては、お金で買える消耗品、がテーマのアメリカ文化のアイコンに相応しい女性でした。