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元ヒーラーの覚え書き的な日記

ヒーリング、スピリチュアル、代替医療、ホメオパシー、などを、忘れないうちに綴ってます

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※当ブログの記事の無断転載、転用はご遠慮ください

サイキックバンパイア@レメディー

日記

サイキックバンパイアというのをご存知でしょうか。

 

他人の気をすい、エネルギーを横取りしながら生きている人、だそうです。
宇宙からとか、大地からとかから貰えばいいのに、生きている人間から奪います。

大変迷惑な人ですが、実際にいますし、何人か知ってます。
特定の人に執着し、エネルギーを吸い取るので、この人と関わる人は、疲れきり、運も横取りされ、老け始め、思考も鈍くなり、身体も心も硬化して動けなくなります。

逆に、サイキックスポンジと言われる方もいるそうです。

エネルギーを吸い取られやすいかた、悪いエネルギーを受けやすい方、だそうです。

お人好しで、やさしくて、気が良いのですが、自分を守るのが下手なかた、善人説で生きている人、が被害に遭うようです。

検査では健全なのに、疲れて疲れて一日中、眠らないと生きていけない、という方は、もしかしたら、サイキックバンパイアの餌食になっているサイキックスポンジの可能性大かもしれません。


加害者が他人だったら、職場をかわるとか、かかわり合いをなくすとかすればいいのですが、ややこしいのは、それが、親だったり家族だったりするとややこしくなります。


例えば、若いのにもかかわらず子供の世代が、体調がどこがわるいわけでもないのに疲労困憊し、老け込み、引きこもり、思考力も行動力も鈍り、何もできない、動けない、無気力で不運に囲われているという状態。

一方、親は年齢の割には元気いっぱい、子供より元気で充実した活動的な毎日を送っている場合、親が子供の気や運、エネルギーを横取りし、すっている可能性が大きいです。


こういう親は、念力がつよいので、子供が独立して家を逃げ出しても、また戻ってくるよう念じ続けて呼び戻します。
そして、手元に置いておいて、若い世代の人間の気、運、エネルギーを吸いながらハツラツと老後を生きるのです。
逃げ遅れた子供は、欝になったり、無気力になり、不運がつづき、スカスカになって、下手すると、そのまま捕食者の親に依存するはめになります。
親は子供の気を吸い取りながら元気ハツラツとして生き、子供は家畜のように髄まで吸い取られ、そのご褒美に、衣食住をあてがわれるという、畜産のような関係になります。
親は、それを、子供に対する無償の愛だとおもっています。
しかし、子供が独立して脱出に成功すると、大抵、親は病気になったり、欝になることが多いです。


一概にはいえませんが、親のエネルギーが強く、子供が無気力で動けないという場合の引きこもり、ニート、あるいは、何をやっても失敗し、力尽きて、スカスカになっているばあい、親が子供を餌食にしているのを疑ってみるといいかもしれません。

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親=サイキックバンパイア、

子=サイキックスポンジ、

という組合せが作られる背景には、子世代は、予防接種を打ちまくられ、添加物たっぷりの栄養のない有害な食べ物を日々食べさせられているので、世代が下がるにつれ免疫も弱くなっているので、世代が下がるに従って、自分を守るのがむつかしいということもあるかもしれません。


ホメオパシーで、こうした加害者側のサイキックバンパイアにピッタリ、というレメディーがあります。

アブロタムAbrot

といいます。

綣から出血がとまらない赤ちゃん、に適応するといわれています。

胎児の頃は綣は母親から無限のエネルギーをもらう場所です。
母体からエネルギーをもらう胎児のように、人からエネルギーを綣から気を吸うというサイキックバンパイアにも合うようです。

ホメオパシーの本の臨床でも、まわりの赤ちゃんから気をすう赤ちゃんにあたえたら止まったというのがありました。

サイキックバンパイアの自覚があるのなら、迷惑をかけないように自主的に飲んで欲しいのですが、問題は、サイキックバンパイアは嫌がって飲まないと思いますので、風呂に入れるか、何かに混ぜるかするしかないですね。

運良く生きたい、というのは人間の願望としては普通かも知れない、老いるのは嫌かも知れない、死ぬのは嫌かも知れない、だから、じゃあ、人のエネルギーをとって生きるわ、私幸せになるわ、という、無意識にしろ顕在意識にしろ、そういう人の発想が普通のひとからは理解できないですね。

自分の運命、寿命、病気、老化、苦悩、死、を、まっとうして生きるということ、めいっぱい生きること、受け入れるのが人間として正しい生き方であり、それを容易にするのがヒーリング、セラピー、だとおもいますが、たまに、自分のエゴを満たすために、間違ったエネルギーの使い方をする人がいるのは残念です。

人のお金を搾取して生きている人は、改心して被害者にお金を返すという形で償いもできます。
が、人の命や若さ人生、運などエネルギーを横取りして生きているばあいは、被害者に償いも補填もできません。

サイキックバンパイアの方はたいてい、アリバイ作りを頑張っている方が多いです。
加害行為を正当化するために、社会活動をしたり、たくみに世間から評価されるポディションに移りつづけながらポーズをとっています。
頑張っているいい人、すばらしい人の仮面をつくるために、それはそれは頑張ります。

あいつは、悪い奴なんだからいいじゃないかとか言い訳しながら奪ったり吸取ったり、自分は、社会のために人のために頑張っているんだから生き延びないといけない、活動しないといけないから多くの人のためしかたないじゃないか、いいじゃないか、とか、病気なんだから仕方ないとか、理由をつけているかたが多く見受けられます。

これらは、加害行為をおこなうために、いい人を頑張っていると同じです.
まさに、独善、偽善です。

この方たちの場合、偽善、独善、熱狂、のレメディー、Varentバレンチュームアルバムが根源にあると思いますね。
イタリアルネッサンスの時代、ボルジア法王に粛清された僧、サボナローラがこんな性格のひと出した。
この方は、メディチ銀行の破綻を発端とした経済不安にあった、当時、欧州屈指の文化の都フィレンツエ市民の熱狂的な支持をうけてブレイクし、そして、フィレンツエから華美な文化を駆逐して、厳格な修道院にしようとして失敗して市民の支持を失い、火刑になりました。


昔、大好きだったアニメーションの映画、銀河鉄道999のなかで、主人公の哲郎は最初は、機械の体を得て永遠の命を手に入れるために、銀河鉄道999で謎の女性メーテルとともに旅立ちます。

しかし、実は、機械人間の永遠の命をささえているのが、生きている人間の生命力をカプセルしたもので、生きた人間を犠牲にしたシステムだと気がつきます。

「人の命を犠牲にした楽園なんて」

鉄郎が、カプセルを取りながら生きている機械の体の女性に言ったセリフです。
今も忘れない、大好きなシーンです。
この一言のために、この作品があったのではないでしょうか。
主人公の鉄郎は、機械の体を手に入れて永遠にいきるのではなく、限られた人間の短い人生を選択しました。

公的な保護や資金援助をうけたり、輸血や投薬によって、あるいは、提供者の同意のもと臓器移植をして生活したり延命するというのは問題ないでしょう。

でも、サイキックバンパイアのように、平気で、あるいは無意識に、人の命や青春、人生を犠牲にして搾取して生きる人、というのは、はたして人間といえるでしょうか。

アブロタムでものんで、あるいはほかの方法で、

人間に@なってほしいとおもふ