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元ヒーラーの覚え書き的な日記

ヒーリング、スピリチュアル、代替医療、ホメオパシー、などを、忘れないうちに綴ってます

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※当ブログの記事の無断転載、転用はご遠慮ください

Hepヘパーソーファー@フランソワ2世

レメディーエッセイ

Heper(ヘパー)-sulph(ソーファー)

 (略 Hep)硫化カルシウム

 

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卵を焼いて作ったレメデイーであり、とき卵のような膿をもつ人のレメディーである。

 

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Heper-sulph(以下略 Hep)

この人たちは卵の殻のように表面が冷たく、そして中は卵色の膿をもっている。そして、中は燃えるように炎症をおこし熱くなっている。

そして、クールでドライな感情の中に、燃えるような怒りをたくわえている。

このレメデイーは、硬い卵の殻のなかで、焔が原子炉のように燃えさかっている。そんなレメデイーである。

 

この人たちは、免疫が低いため体温を上げることができない。カイロやストーブなどの外部からの暖かさでもってしか温まれない。

この人たちは、爬虫類に似ている。性格も爬虫類のように残酷なとこともあり、冷酷さの下には、暴力的な衝動を秘めている。

この人たちは、体がつめたい。そのため、火をつけたいという欲求が起こり、しばし放火にはしる。

この人たちは、しばし世界が燃える夢をみ、世界が燃えているという妄想をもつことがある。

 

体内の水銀などの重金属の含有率が高いため、それゆえ血やリンパがにごり膿みやすく、怪我や虫にさされても治りにくい。膿は黄色い色で悪臭がする。

体内の金属の含有率が高い人々は、たいてい体がつめたい。そして、心も冷めていて、Hepに限らずナイフで人を刺したい、自殺したい、という欲求をもつことがある。

 

放火をする人々、切れる人々、ナイフを持つ若者、これらの人々の体内には水銀の濃度が、たかくなっている。彼らはアルミ缶などに入った炭酸飲料を好んでのむが、酸によってアルミが微量にとけて、飲料に入り込むのである。不良少年の髪からは、アルミをはじめとする金属の高い値が検出されるのは有名なはなしである。

 

・リンパがはれている

・膿が黄色い

・怪我などが治りにくい。すぐに膿む

・湿気で好転し、乾燥で悪化する

・暖かさで好転し、寒さで悪化する

・痛みや感情が過敏に反応する

・身体が冷えて、冷たい。

 

これらに適応するなら、耳炎であれ、喉のはれであれ、風邪であれ、熱であれ、咳であれ、アトピー性皮膚炎であれ、Hepが必要である。

 

歴史上の人々でHepが必要だったのはだれでしょう。

フランス ヴァロア朝の王フランソワ2世ではないでしょうか。

 

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フランソワ2世

本名:フランソワ・ド・ヴァロア

性別:男性

職業:フランス王

生年月日:1544年

父:アンリ2世 フランス王 

母:カトリーヌ・ド・メデイテス (イタリア人)

病歴:繰りかえす中耳炎。リンパの腫れ。

あちこちに膿を持っている。発達のおくれ。

呼吸器の慢性疾患。

身体の特徴:体全体に浮腫み。青白い顔色。小さな発達不全の肉体。

臭い息。頬に赤いできものが常にある。

精神の特徴:怒りっぽく、幼稚。機嫌がわるい。狩猟が大好き。寒さで悪化。

 

フランソワ2世は、1544年にヴァロア王朝の皇太子として誕生した。

父はフランス王アンリ2世。

母はカトリーヌ・ド・メディティス。

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母はイタリアの大富豪メデイチ家の令嬢で、カトリーヌの母はフランスの王女であった。幼いころに両親の病死によって孤児となったカトリーヌは、一族であるローマ法王の貢献のもと、ヴァチカンで深い信仰心と、高い教養を養った。

 

メデイチ家は、莫大な資産と洗練された趣味と豊かな教養もってイタリアルネッサンスをリードした一族である。文化と芸術が繚乱と花開いた都であったフィレンツエの、一市民ながらも強大な財力をもって、フィレンツを壮麗な美術館にした、フィレンツエの事実上の君主であった。ミケランジェロを筆頭とする芸術家のパトロンであったメデイチ家は、ヴァチカンにも油断無く一族を送り込んで宗教界にも進出し、ついにはローマ法王を幾人もだしたヨーロッパの名門中の名門である。

 

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フランソワ2世の父アンリ2世の父である、フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ビンチの最後のパトロンにして、レオナルドの最後を看取った人物で、大のイタリアマニアが昂じてイタリアに進軍したこともある。

そのため、貴族でないカトリーヌを息子の妃にという縁談を拒まなかった。とはいえ、フランス王家側の関心は、もっぱらカトリーヌの財産にあったのだった。当初メデイチ側は長男の皇太子にとの話で進めていたはずだったが、いつの間にか二男のアンリに縁談がすり替わってしまっていた。それでも、持参金をめぐる双方の攻防が決着をみると、国家予算に匹敵する持参金と、当時最先端のイタリア文化とを持参金にして、カテリーナはフランス王室に輿入れした。

 

フランス宮廷文化の基礎がこの結婚によって出来上がったのだが、カトリーヌは幸せではなかった。女性として、フランス宮廷の性的魅力に溢れた美女たちに太刀打ちできなかったこと、大富豪であっても貴族でなかったことが侮蔑を買い、苦悩と煩悶がおおかった。

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夫のアンリには、貞節と愛情を捧げたが、夫は妻をかえりみず、親子ほど年回りのはなれた18歳も年上のディアーヌという寵妃をこしらえ、彼女に夢中になり若い妻を省みなかった。味方をしてくれるのは舅のフランソワ1世のみという状況で、フランスの宮廷生活を不安と煩悶の中で送った。夫の長兄がなくなり、夫が皇太子に冊立されると、王弟妃から皇太子妃へと立場は変わったが、懐妊の兆候はみられず立場は依然苦しかった。

 

イタリア出身の皇太子妃が連れてきた最先端の料理人、音楽家、詩人、女官たちの影響でフランス宮廷は、ぐっと洗練されたものになった。ルイ14世に絶頂をむかえる宮廷文化の基礎が築かれたのだった。

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妃がつれてきたのは神秘家や占星術師や、怪しげな医者や、錬金術師もおり、孤立した皇太子妃は、これらの不可思議な技能者に囲まれて神秘主義に凝り、迷信深くなり、人身御供を怪しげな黒ミサに捧げ、未来を占ったという。かの有名なノストラダムスも、このサークルの一人である。数々の予言をした占星術師は、カトリーヌの夫、子供たちの運命も予言してピタリと当てている。後年、ルイ14世の御世において、ヴェルサイユ宮中で黒ミサを密かに開き王の寵をあらそうライバルを呪い殺そうとこころみた婦人がいた。

 

婦人の名をモンテスパン夫人といい、太陽王ルイ14世の寵姫であった。

すでに38歳になった彼女は、ラ・ヴォワザンなる怪しげな女性に媚薬を調合してもらって王に盛ったりと、衰え行く王の寵愛をつなごうと必死だったらしい。王の寵姫の座を狙っている若くて美しい姫や婦人は腐るほどヴェルサイユにいたのだ。当時の宮中事情として、未婚既婚を問わず、この時代の女性は、夫や父の昇進の印可を王から得るため、絶対君主のベットをめざしたのである。それは、不貞とは見なされていなかった。妻や娘が王の寝室に招かれるのが、夫や父の望みでもあったのだ。

この黒ミサは、ラ・ヴォワザンなる怪しげな女性が別件で逮捕され、世に明らかになったのだったが、黒ミサには高位の聖職者も席を連ね、ヴェルサイユ宮中を震撼させたのだった。こうした根深く侵食した黒い病根の種も、この結婚によってフランス宮廷の土壌に蒔かれて芽吹き花開いたものかもしれない。

 

砒素による毒殺もまた、この政略結婚によってイタリアから持ち込んだもののひとつであるという。この流行は、王侯貴族の国際結婚を通じてヨーロッパ中に蔓延することになった。カトリーヌ自身、ナヴァールの女王ジャンヌに毒入り手袋をおくり、暗殺は成功したともいう。

 

若いカトリーヌの一番の悩みは不妊であった。

子供がなければ、それを理由に離縁される可能性は大きかった。立場は依然不安定で、実際、別の皇太子妃を冊立しようとする動きがあったのは確かだった。なかでも、フランスの権門ギーズ家のルイーズという姫を、カトリーヌの後にという動きがあった。しかし、これを防いだのはアンリの親子ほども年まわりの離れた寵姫デイアーヌであった。若くて美しくて名門のルイーズが妃になったら自分の立場が薄くなるのを恐れて、カトリーヌと共同戦線を張ったのである。

 

カトリーヌは、怪しげな医者の調合する丹薬を服用していたらしい。その甲斐あってか結婚10年目で懐妊し、その後続々と王子王女をもうけることになったが、子供たちは虚弱であったり、美貌であっても色情狂の傾向があったり、同姓愛者だったり、発達が遅かったりと何らかの点で難が現れることがおおく、母としての心配が尽きなかった。 

ノストラダムスの予言の通り、3人の息子は、年長から順に、王位については亡くなるという運命をたどり、ついにヴァロア朝は断絶するのである。

 

カトリーヌの生んだフランソワ2世は、第一子として生まれるが、生まれたときから、すでに虚弱があらわれていた。

子供を3人生めば母親の体毒がでてゆき、母体は綺麗になるといわれるが、フランソワの虚弱は、カトリーヌが飲んでいた丹薬の害が原因かもしれない。おそらく丹薬には、不老不死と信じられていた水銀が入っていたのではないかとおもわれる。フランソワの体の基調は水銀中毒の傾向をしめすようにおもえる。

 

フランソワは発育不全で、体が常に浮腫み、顔はしわだらけで息が臭かった。頬には赤い斑点がうかび、慢性的に呼吸器を患い、中耳炎は慢性化し絶えず耳が膿をもっている状態であった。

某国の駐フランス大使が王子をみて「王子は病気だ。」と叫んだほど、外見にあらわれていた。

根気がなく勉強が嫌いで、虚弱にもかかわらず狩猟に夢中になった。怒りっぽく、不機嫌で、動物を殺傷する残忍な狩猟をこのんだ。

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フランソワ皇太子が5歳のとき、スコットランドから海を越えて婚約者がやってきた。

メアリー・スチュアートといい、6歳という若年ながらもスコットランドの女王であった。母を摂政としてスコットランドに残して、フランスにやってきたスコットランドの幼い女王は大変な美少女であった。10年後、 2人の婚約者は予定通り結婚し、フランスはスコットランドを手に入れた。結婚した翌年、アンリ2世がノストラダムスの予言の通り馬上試合にて命をおとすと、フランソワはフランス王に即位した。ときに15歳であった。

 

2年後の17歳をむかえた年は、冬の寒さが厳しい年であった。

なかでも際立って寒い気候であった11月16日、王は大好きな狩猟にでかけた。

が、帰還直後に耳に激痛を訴え、痛みのあまり若い王は気を失ってしまう。王の左の耳の後ろに大きな腫れものができ、瞬く間に炎症は耳全体に広がったのだった。高熱が続き危篤に陥った王は発作に襲われ、話すこともできなくなった。

 

同月28日医師から下剤を投与され、当時ポピュラーであった瀉血療法を施されたが好転を見ず、大黄でこしらえた丹薬を服用した。

小康状態となったが、30日になると、はげしい頭痛に苦しみ病状は暗転。耳の炎症が大脳葉にまで広がった。

12月2日、神聖なる王のからだに傷をつけるべきでないという、カトリーヌの反対を押し切って外科手術を決行した医師団によって、腫瘍に穴をあけると症状は少し楽になったが、その後悪化の一途をたどり、ついに炎症は脳に達し、脳に腫れ物ができ、これが致命的となり、12月3日に危篤におちいり、同月5日意識不明にあり、同日10時に落命した。

 享年17歳であった。

 

 

【フランソワ二世に、おすすめの処方】

 

朝 Hepヘパーソーファー 6c

  体内の膿の排出。腺のハレ、身体の冷たさ、残忍な衝動。

夜 Silicaシリカ 6c

  体内の膿を集めて出す。異物を体外に排出。

毎週日曜日 Syphスフィライナム 1M

  梅毒マヤズム、発達のおくれ、弱さ。